百年以上前の大正5(1916)年、弁栄 57歳の時、浄土宗総本山、知恩院で年に一回、全国を代表する僧侶200名程集まる高等講習会の講師に選ばれました。


 


しかし、役員の井上師が大反対した所、他の役員からまずはその講義がおかしいかどうか聞こう。聞いておかしければ、そう言えば」と説得されました。


ならば、話を聞いて少しでもおかしければ、井上師はきつく抗議し、講義を妨害しようと決めて、一番後ろの席で聞くことにしました。


 


所が、弁栄の話を聞くと、科学等色々な分野の知識にも裏付けされた大変良い話であったで最前列へ移動して熱心に聴きました。


弁栄にその講義「宗祖の皮髄」出版を願い出て、出版を実行するほど弁栄の尊敬者になりました。尚、科学的知識とは、


太陽光は、


1.物を見分けさせる光線。


2.暖かさを与える熱線と


3.化学的変化を与える化学線でその光線で光合成や渋柿を甘柿に変える働きがあります。


これら三種の「太陽光」は如来様の


1.「光線」が智慧の能力に相当し、


2.「熱線」は慈悲のパワー、


3.「化学線」は、威神(いじん)の力に相当します。


これは、山崎弁栄の「光明主義」の最初に学ぶ基本の考えであります。


 


この三つの中で全てを超えて最も尊い重要な力は、理解しにくいかも知れませんが、如来の「威神」の力であります。


意味は、神々しい威力、威厳、威光、威徳。偉大で不思議な威力。それらがあって全く尊いことです。


尚、分りにくいことですが、弁栄晩年作の三昧仏の雲上阿弥陀像の眼などにこの「威神」の表現を見ることが可能です。




 


大反対した人が大賛成に変わってしまうほど深く影響を与えました。当時の管長も聞き、大変喜んで人にその本を薦めました。