無礙(むげ)(こう)(ぶつ)様は


私達に対して如来様(何か偉大なるもの)がどんな働きなさるかを代表しています。その力とは、厳父のような精神と慈母のような優しさです。


山崎弁栄様曰く   


「父は照り母は涙の雨となり   おなじめぐみに育つ撫子(なでしこ)」(古歌)


 


進化という教育は、夏の日照りのように正義感旺盛な厳しい父とその怒られた子(私)に、涙の雨でうるおして下さる母の愛情で育つなでし子のお歌です。


撫子とは、我が子を撫(な)でるように かわいがる花であるところから この名前になり、可憐な大和調の色、紫ピンクの花。白色もあります。日本女子サッカーの名前に使用されています。


 


「無礙」とはさまたげられないと言う漢字の意味ですが、何にさまたげられないかと言うと、悪や煩悩からであり、それらは環境の縁によって起こります。


 


無礙光の力は、その悪にさまたげられなく、正義を貫き悪や煩悩より自由の身にさせてくださる力のある精神的光です。この荒砥石のような世界に「どんなに悪を押しつけられても、我一人正義を貫かん」の力です。


 


無礙光の不思議な力には、次ぎの3徳(徳とは優れた働き)があります。


) 神聖


) 正義


3)恩寵


 


1)神聖


中井常次郎著の本では、「如来の正見である。宇宙的良心である」と説明しています。それも1つの方面でありますが、弁栄様は、「神聖に対して吾人は真に()(じん)光明侵(犯)すべからず感あり。


つまり、神聖は、まことに威神(偉大で神々しい不思議な威力(いりょく))光明の感覚を感じるものがあると『無礙光』p.53で語っています。その感じが分れば弁栄様と共鳴出来ます。


神聖剣=聖剣という言葉があるように、つまり、それは神や妖精の不思議な強い能力が与えられた剣のことで、ゲームや海外映画に現れて悪人と戦う武器となって勝利する剣であります。故に、神々しく他の剣がこの善なる美なる神聖剣を犯すことが出来ないという一例です(12/24日訂正)。



また、「神聖の光明の中の行為は如来に向かって真善美の極致に進趣することを得る」と語っています。つまり、神聖の光明中の行為は、真善美の極致に進む行為であると述べています。


 


以上のようにそれ程重要な意味と中身があります。


 


2)正義


正義は、如来の聖意は悪を捨て善を選み、邪を捨て正に帰し、非を避け善に就かしむる勢力なり故に吾人が此霊性(理性を声優れた性質と能力)に照らさる時は自然と聖意の如くに如実に如来の聖道に進むことを得。」と上記神聖に続けて語っています。


 


つまり、如来の聖なる意志は、悪を捨て善を選び、邪を捨て正に帰らせ、非を避けて善につかせる力があります。故に私のこの正義の霊性に照らされる時は、自然と実践的に如来の聖なる正道に進めます。


 


3)恩寵


恩寵とは、弁栄様引用冒頭のお歌の内容と同じです。それは、


「父は照り 母は涙の雨となり


   おなじめぐみに育つ撫子(なでしこ)」


 


東西の著名な学者や船井・稲盛著名人が「宇宙には意志がある」と語るように如来(宇宙)の聖なる意志、つまり如来の精神進化という教育の意志は、夏の日照りのように正義感旺盛な厳しい父とその怒られた子に、涙の雨でうるおして下さる母の愛情で育つなでし子(私)がお歌の意味です。


 


以上の内容は次ぎの弁栄様のお歌の中身で、解脱とは、迷い、苦しみ、束縛から解放されることです。


 


南無(なむ)無礙(むげ)光仏(こうぶつ)


(にょ)(らい)()()光明(こうみょう)は  神聖(しんせい)(せい)()恩寵(おんちょう)の 


(れい)(とく)不思議(ふしぎ)(ちから)にて 衆生(しゅじょう)()(だつ)()(ゆう)とす


   『如来光明礼拝儀』p.9-10