無対光と2023年流行語の「アレ」


 


()(たい)とは、と利益、我と勝ちを求めて競争する()(がん)(ここ現世)を超えて真善美完全無欠で超理想的な


精神世界である彼岸(ひがん)に参りましょう。そうすれば、対抗・競争することは無く平安な精神世界となりま


す。アレかコレかと迷うことは無くなりますと言うことが「無対」の漢字から受け取れます。


                                                                     


彼岸と此岸とを超理想のあちらの岸と厳しい


現実世界のこちらの岸とも言えます。最近では、


2023年流行語大賞を獲得した阪神タイガー


スの岡田監督が「優勝」の代わりに「アレ」と


言って獲得しました。


 


監督が「アレ」を用いた理由は、先ずストレスを減らす効果があることと、


2つ目は、「あれ」は、「あちら」より届きやすいし、「これ」は、


すぐに届きやす過ぎるという両距離感を離して決めたと語っていました。


日本人が特異な婉曲な表現に変えたと私ケン蓮は感心しました。


 


彼岸(ひがん)とは、一般的に話題になるのは、昼と夜の長さが同じ中間の日で


「春分の日」と「秋分の日」の祝日であることと、その日1日は、


先祖のお墓参りする習慣があります。


 


しかし、本来は、7日間あり、その日の前後3日間の合計7日間です。


戒律という数箇条のルールに従い先祖供養と自分の精神修行を、読経、


瞑想や称名などしながら仏教では、行なっていました。


 


現在京都の寺院では、その7日間が墓参り期間ですが、檀家・信者の


集まる「彼岸会」は、祝日の中の1-2時間ほどに短縮されている所が多いようです。


 


弁栄様は、「無対光」で次ぎのように歌っています。


 


南無(なむ)()(たい)光仏(こうぶつ)


(ぜっ)(たい)()(げん)光明(こうみょう)に  (せつ)()せられし終局(おわり)には


諸仏(しょぶつ)(ひとし)(かく)()をえ 大般(だいはつ)()(はん)証入(しょうにゅう)


 


大意


 


無対光仏様に心から尊敬し信を捧げます。


無対光仏様の絶対的で無限の光明による多くの教化の終極には、


諸々<あちこち>の仏と同じ覚りの位を得て、煩悩が消された


不生不滅の境地を覚ります。


 


説明


この世は、比較してどちらがメリット(利)が多いとかを基準に


して相対的に価値を決めています。しかし、この無対光仏様も


他の12光仏様もその精神的光明(力)は、皆絶対的に定まった


正しいもの、または真善美が基準ですのでメリットが基準では


ありません。


 


この世を金財優先でなく善意優先にし、正義主義でなく善意優先に


することが重要です。金財が優先であると悲劇は、絶え間無く生まれ、


正義主義だと国によって違いが生まれ、やはり悲劇が生まれます。


あらゆる力を善用しましょう。


 


例えば、弁栄上人式念仏瞑想を行なえば、無対光仏の力と教化が


働いて智慧と慈悲が生まれ、終極の覚りである真善美へ段階的に


一歩一歩進めます。上記の「(せつ)()」とは、精神的光明により教化が


働いて覚りに進むことです(摂取(せっしゅ)()(やく)とも言います


 


「等しき覚位」とは、


①仏教で(とう)(かく)と言い、修行が満ちて、


智慧・功徳が仏と等しくなった位。功徳とは現在、また


未来に幸福をもたらすよい行ないです


 


菩薩の最高位<五十二の位があり、仏に成るまでの段階がある>


が与えられます。それは、真っ暗な


新月から徐々に満月になる喩えと同じです。暗い面が


煩悩で明るい部分が覚りを象徴します。


 


そのような大小いくつかの覚りを得たいと思う人には、


弁栄上人式念仏瞑想修行で智慧と慈悲が得やすいので、


それからすすめると大変良いと思います.


 


智慧とは、相対世界<1月追加>に向かう働きの智と、さと


導く精神作用の慧で、物事ありのまま把握し


真理見極める認識力です「知恵」との違いの意味は、何か?


理性的に物事筋道立て計画し正しく処理していく


能力ですので事を分ける作用である理性的な精神の認識力です


 


大般(だいはつ)()(はん)」とは完全な涅槃を完成されたことで、「涅槃」


とは、煩悩(ぼんのう)の火が吹き消された状態のこと。すべての束縛


からすること。不生不滅(ふしょうふめつ)の境地ことです。                                                                           


 


「証入」とは、さとることです。


 


戒<きまり・おきて>を守ることにより、以上の仏・菩薩の


さとりを得る方法もあります。


戒の項目が5つの戒、10~250の戒迄色々あります。


250項目を守ることは、至難の極みです。その250は、仏と


「等しき覚位」と言えるでしょう。仏教の最もよく言われる


世間の人が順守する徳目としての五戒とは、


 


、不殺生(ふせっしょう)(生命あるものを殺さない=不悪。<傷つけないや活かす>


、不偸盗(ふちゅうとう)(与えられないものを取らない)<善行をする>


、不邪淫(ふじゃいん)(みだらな男女関係を結ばない)<道徳倫理的交際をする>


、不妄語(ふもうご)(いつわりを語らない)<真実を語る>


、不飲酒(ふおんじゅ)(酒類を飲まない)<克己心を得る>


 


全て世間のニュースや話題に載るものばかりです。特に現代の


マスメディアは、4番目の妄語が多く流れていますので、


鵜呑みにせず、本(ツイッター等も)の別のメディアでよく調べることが必要です。


 


1番目の殺生は、仏教では一番重要で、動植物と物質の寿命が


短くなるような行為をしないことです。弁栄様は、使用済の紙の


裏側も何枚か貼り合わせて使用しています。


 


また、植えれば一粒何千粒にもなるお米を一日約一万<数千>粒も


頂き、申し訳ありませんと念仏を称えて懺悔と感謝して頂いています。


そのお米を活かすため、清く正しい仕事や善行のエネルギーにされていました。


 


以上は、世界中で古くから言われていますが、弁栄様は霊性の観点から


重要である五つの戒を次ぎのように作り述べています。


 


殺す勿(なか)れ汝が霊格(れいかく<霊性の人格>)を


盗む勿れ努力の光陰を。


する勿れ天魔の使と。


酔う勿れ肉と我とに<煩悩と自我とに>


、欺く勿れ己の良心を。


 


他にも七箇条の「光明家庭の心得」の一つに次ぎがあります。


「忿(いかり)恨み等を発し衝突を為すは光明を失う故なりと


覚知(かくち)すべき事」


 


以上