スミ婦人は大阪の医師湯川玄洋の娘で、湯川博士元の名、小川秀樹を養子して結婚されました。日本舞踊の名手でした。海外でも披露されたのでは?家は医者ですので金持ちのため、貧乏な湯川博士が洋書などを買うお金を支払って頂けたお陰もあってノーベル賞が得られたとも言えます。


湯川秀樹博士の妻湯川スミ婦人は、献身的に湯川博士を支え、戦後共に米国に渡り、アインシュタイン他と湯川博士が結成した世界連邦建設同盟の思想を受け継ぎ、日本国での会長として1963就任ました。


 


この写真は、秀樹博士に御抹茶をあげているような写真です。



この写真は、京都大学での湯川秀樹博士の記念会で尾池学長とスミ婦人が写っています。



この写真は、秀樹博士のノーベル賞のメダルか?を持つスミ婦人の写真です。


1966婦人は、フランス政府より「ダームコマンデール勲章」が授与される。これは、文化勲章のようなものです。



1976年婦人は、『苦楽の園』講談社で出版、世の平和を望み夫婦共に苦楽を過ごした日々の回想録を記載。


1981年夫、湯川秀樹博士が死去74歳。


2006年湯川スミ婦人死去96歳。知恩院の夫の墓に眠ります。その墓は、湯川博士の願いで尊敬する広島大学倫理・哲学の教授であり()光明会の代表(浄土宗僧侶)である山本空外上人の墓三角岩の隣にあります。




その経緯は、このブログ2020.09.28 (2022.05.28)に載せています。



 


湯川博士自宅は、有名建築家安藤忠雄・長谷工により改修されて、京都大学に寄贈され、移設完成後、家・庭や多くの湯川家所有物や資料が本年2023年に展示される予定です。