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たたえようもない素晴らしい仏 無称光仏

()()()(しょう)(こう)(ぶつ) ((たた)えようも無い素晴らしい仏)2023.3.30

七覚支説明図 植物の喩え1379x1837.jpg

この仏の名は、その漢字を解釈すれば、(たた)えようも無い素晴らしい仏となります。

 

弁栄上人(以後上人の敬称を略します)は、下記の七五調の歌を作り、その意味を次ぎのように説明しています。念仏瞑想(以後瞑想を省略します)が三昧深くに成って行くと、如来様の智慧と慈悲との光明に照らされて七つの覚りの枝が発芽し育ち、そこにそれぞれ妙なる七つの心の花が咲き、七つのきよらかな覚りの段階が生じますと述べています。

 

如来の()(こう)(こう)むれ

      (しち)(かく)(こころ)(はな)(かい)

神秘の(れい)(かん)(たえ)にして

      (きよ)き心によみがへる

  その心の花は、神秘な霊感体験、人格一変して、仏子の自覚成り、心が更生しますその枝と花に7つあり、次ぎの順に高いレベルになって行きます。

 

1.(ちゃく)法覚(ほうかく)() 

(とは簡便に言い替えれば、如来様と念仏が何を置いても重要で優先と自覚し、これらを選択し腰をすえる段階の覚り)

 

自らの過去の罪と業を自覚反省し、疑心と妄想が全く無く、如来様に我を投げ出し、念仏三昧の行を行なえば、「何のかのと思うは無益なり理屈はいらん。ただ一向に念仏すれば良い」と心が定まり、如来様が良いようにしてくださる。いつか見仏させて下さると確信する段階です。

 尚、従来の仏教では、ここは、(ねん)(かく)()が気付きという意味を持ち1番先にスタートします(次ぎが(ちゃく)法覚(ほうかく)())

 

2.精進覚支

以前如来を愛楽す(愛し求める)とか、こころの妻」(法然上人の歌)と難思光レベルの精進で述べましたが、この段階では、もっと大変強い精進で善導大師は、「全身より汗を流し、眼より血の涙を出す」という程如来様を求めて精進します。

 

勇猛心と金剛心を持って命惜しまず見仏を目指し、動物的天性を抑え、理性を砕き、いかなる困難も超えて、霊性を研ぎ出す段階の覚りです。理性を砕くとは、理論・学問を空にすることです。学者は、学問の知識が心を占領し、かえって霊性発達の障害になる傾向が大勢を占めます。天性理性の重荷をしょいながら霊性行き登り道を進みます。

 

3.()(かく)() (喜びの覚りの段階)

精進覚支の行を行なった後の仏三昧の段階で、心が暗がりの夜から山の端に薄明かりが点り如来様という太陽存在が山の後ろに感じられ、心にその喜びが得られる段階の覚りです。尚、正面に置いた如来様の像が実際に光ったり動いたり、妙なる音楽が聞こえたりすることも希にあります。

 

尚、この七覚支では無く、聖歌歌詞の「念仏七覚支」では、初めて念仏の目標の見仏の段階に到達した事が記載されています。見仏には種々様々あります。

 

人により現われ方が異なります。弁栄の様々な仏画のお姿通りです。広くは、様々なお姿の仏様、菩薩様、神様、イエス様、マリア様も含みます。心の深さも色々です。そこで弁栄が目標に定めるところが最尊の阿弥陀仏(=ミオヤ、如来、無量寿如来や無量光仏とも呼びます)となります。

 

4.(きょう)(あん)(かく)() (精神が軽やか安らかの覚りの段階)

 

喜覚支の(ほとけ)三昧(ざんまい)の行の後、私は如来様に乗り移り、天性・理性の重荷が空になり、煩わせるものも私も無くなり、身も心も軽やかに安らかになる覚りの段階です。

 

5.(じょう)(かく)() (定めの覚りの段階)

しい続的な時間間隔においてまるところの、①木魚打ち込みの身体も、②3枚おろし(()ム・()ミ・()ブに切断)の念仏の声も、③心も定まるそうした時に、深い仏三昧となり、見仏が成就し智慧・慈悲の覚りが得られます。真に仏の子となり、仏の心が私の心となり、私の心が仏の心となります。

 

尚、田中木叉慶応義塾大学教授は、「念仏三昧に生理活動が伴なわねばいかん」(それが横隔膜や木魚打ち込みの動作)と『田中木又先生法話お聞き書き』十二話、柴宅でお話しされています。

 

但し、例えば、みこさんのように天眼がある方が見仏したと言う場合がありますが、(じょう)(かく)()では、ありません。智慧などの覚りを得ていないからです。

 

6.(しゃ)(かく)() (いつでも見仏出来る段階)

注意しなくても、いつでも自然と見仏出来る覚りの段階です。体と心が勝手に働く達人のような段階。

 

7.(ねん)(かく)() (すべての念が仏の念になる段階)

念とは、人は1日約8億の念が起こるが、その全てが仏の念()となり、全ての行いが仏の行いにかなった行いとなる最終段階の覚りです。

 

 

参考

従来仏教の七覚支は以下です。

 

1.念覚支sati-sambojjhaṅga) - 気づき(サティ)。心で今の瞬間の現象を自覚すること

2.択法(ちゃくほう)覚支(dhamma-vicaya--sambojjhaṅga) - 法(ダルマ)の中から真実のものを選ぶ

3.精進(しょうじん)覚支(viriya-sambojjhaṅga) - 努力

4.覚支(pīti-sambojjhaṅga) - 喜びに住する

5.軽安(きょうあん)覚支(passaddhi-sambojjhaṅga) - 心身に軽やかさ・快適さを感じる

6.定覚支samādhi-sambojjhaṅga) - 心が集中して乱れない

7.捨覚支upekkhā-sambojjhaṅga) - 。対象に囚われない

 

 

 

 

 

 

 


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