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大正パンデミックと弁栄の弟子

大正8年スペイン風邪新聞マンガ.jpg


大正8年のマンガです。食事の時も医者の電話の呼びリンが多いので、逃げだし芝居を見に行き、見つかりマスクで顔をかくして見ていたストーリーです。ほとんどの医者はこうでないかもしれませんが、僅かにいたのか、想像のマンガかは不明です。

 

『さえられぬ光に遇いて』

 著者、熊野好月(旧姓徳永愛子1895~1975行年九十歳)は、大正九年まで活躍された山崎弁栄の弟子で当時学校の教師の時より出遇いが始まり、何ヶ月か随行(ずいこう)(お供として従い学ぶ)の旅をする。弁栄より、学生を指導するように依頼されて、関西を起点とし、それに生涯を捧げる。光明会初代婦人部長であり、岡潔博士の妻、みちき相談相手でもありました。また、東京都の跡見学園大学の創始者、(あと)()()(けい)の友として、大正十二年関東大震災の頃から彼女の仕事を手伝った。

 

 その熊野先生の著書『さえられぬ光に遇いて』(百八十四頁)を一般向けに、難しい所は削除し要点を編集して毎月何年かにわたり(註や解説)を入れてケンレンが紹介します。今回先月の終部を含めた続き2回目です。

本 さえられぬ光に遇いて482x697.jpg
 

親は子を子は親を唯一無上のたよりとし、宝として、この幸福を与えて下さった親様(大親様=仏様)のましますことを知らずにおった私共の上に思いがけない警鐘はうちならされました。

 

当時の私にとっては、余りに無情な余りにも手厳しいものでありました。それは、一家の希望であり光明であった大学在学中の長兄が*流感のため急に倒れたことであります。

 

結核予防会 会報より、 今も売られている書物がある。中身は,1922(大 正11)年に内務省衛生局(現在の厚生労働省)が編纂 した“スペイン風邪”と呼ばれる『流行性感冒』流感の報

 いわゆる“スペイン風邪”は,1918(大正7)年から 1921(大正10)年にかけて世界を覆いつく

 

したインフルエンザ(流行性感冒)の大流行である。世界中で当 時の人口の4分の1程度に相当する5億人が感染した とされ,死者数は1,700万人から5,000万人との推計が ある。

 

本書によれば,日本(当時人口5,600万人)で の流行は,第1波1918(大正7)年8月~ 1919(大正 8)年7月,第2波1919(大正8)年10月~ 1920(大 正9)年7月,第3波1920(大正9)年8月~ 1921(大 正10)年7月の3波に及び,全患者数23,804,673人7935千人/年),全 死者388,727人(致死率1.63%)としている。

 

 

ジョ ンズ・ホプキンス大 によると昨年春 新型コロナウイルス感染症は,世界192か国の感染者 137,214,213人,死亡者2,956,621人,日本では感染者 508,344人,死亡者9,393人(2021年4月13日現在,)であり,“スペ イン風邪”はこれを はるかに上回る。

 

今日のコロナ社会と比べ厳しいスペイン風邪の環境の中で熊野好月先生もその恩師山崎弁栄師もよく5日間泊まり込みの集会を頑張って実施されたことと思われます。その間休憩中は、外に出て日光に当たりなさいとインフルエンザ対策を指導されたとの事です。

 

NHKの国内統計2022.11月までの25ヶ月間の罹患者2261万人、死者数46,981/25ヶ月。致死率 0.21%。大正のインフルエンザの1.63%より1桁少ない。しかし、コロナ後遺症死を含めるともっと高くなるのでは? 

 

続いて中心であった父が、兄を悲しむ余り、兄の忌明けの日に脳溢血を起して、再び立つことの出来ぬ身となったことであります。

これぞ「晴天のへきれき」、残された母を始め世間知らずの私共はお先真っ暗になり、一体どうなるかとただおろおろするばかりでありました。

 

残念ながら、1907年~1910スペイン風邪などその時代の世界的な悪影響で人類の過去からの自然に逆らった悪の行為の結果の報いというのが仏教的な見方。『仏説阿弥陀経』からの仏教用語で「五濁」の悪世という。

(1)(こう)(じょく)は時代の濁りで、戦争、疫病、飢饉(ききん)などの時代的な環境社会の穢れをいう。

実際当時一九~二〇世紀前半にかけて、世界植民地戦争関連など国内外世界的に戦争と流行病の多い世紀でした。しかし、現在もコロナで当てはまると思われます。

 

(2)(けん)(じょく)思想の乱れで、種々の邪悪な思想(偽宗教・政治・メディア)が流行することをいう。

(3)煩悩濁は煩悩の流行をいう。貪(むさぼ)りや怒りや世間知らずな迷いなどがはびこり、人心は乱れ、悪徳の横行する世相をいう。(世界貿易争いの貪りとその闘争の怒り)

(4)(しゅう)(じょう)(じょく)は人間の善行意欲が低下し、心に活気がなく、不健康で、苦労の多い世間となり、同時に人間の質の低下をみる状態をいう。

(5)(みょう)(じょく)は人間の寿命が短くなることをいい、最後には寿命は10歳にまで縮まる。

 

 

2回「なやみの底」

 一家は淋しさと不安と嘆きの声のみに、満されました。ああ、今までの和気に満ちて楽しかった雰囲気は何処へいって仕舞ったのか、夢であったのでしょうか?

人は死ぬものであるという事は知っていましたけれど、私の直ぐそばに死魔の手がのばされようとは、しかも家の中心を抜き取って仕舞われようとは愚かにも夢にも思いもかけなかったことでありました。

 昨日まで快活に談笑しておった兄が,今日は早や呼べど何の答えむない白骨と変りはてて仕舞った。一体**魂の行方はどうなったのでしょうか?

 

一家の嘱望を荷負つての懸命の努力と修得した学問は一体どうなったのであろうか? 

 体と共に消滅したとすれば余りにもはかない事である。またこう考える事は恐しくもございました。自分たちがこうしてあくせくと働いているのは、丁度はつか鼠が車を廻す姿と同じで、じっとしておれば落ちると思ってただ足と手を忙しそうに動かしているが、よそから見れば一つ所にじっとしていて車だけがくるくるまわっている。それと同じ、自分の姿を見出したのであります。

 

一体私は何の為に生きているのか? 何を目的として毎日を忙しく暮しているのか? こうして憶測していても兄のように**死んで仕舞へば万事消滅するではないか、父の様に病気につけば頭に蔵めた万巻の書も腕に覚えた技も何の役に立たぬものになつて仕舞うではないかと考えて来る時、何をする気力もなくなって仕舞いました。

 

**仏教では、死は、肉体・身体の死であり、心の本体は、残りまた、次ぎに生まれる人間の素養に引き継がれ、進化し続ける。生きている時に悪い行いをすれば、それも引き継がれ、退化した動物に産まれ変わることもある。


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