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山崎弁栄の教え 不断光の続き

不断光仏の続き (12

ゴーギャン人はどこから来て.jpg

2022年の主題:ゴーギャンの絵にちなんで、「私達は、どこから来て、どこを目指し、どこへ行くのか?」の続2

 

どこを目指すか」の答えは、最高に賢く、最高に各種の能力があり、最高に幸福で、最高に他者に優しく、真善美を備えた人格円満な人間に成ることを目指すことと思います。またこれらが人間の生きる目的です。あなたは、「これは不可能だ」と言うかも知れませんが、0.1%でも達成出来たら、人から好かれ素晴らしい人生になります。その方法を少しづつ以下のように説明します。

 

 

不断光仏の「不断」=「絶え間無く」を更に説明すると、どれも修めるべき4つの修行方法があります。

 

1)私の遙かに理想とする全智全能お方、仏に(うやうや)しく無上の尊敬心を持つことが大切であす。

これを恭敬(くぎょう)(しゅ)と言います。

4.礼拝すがたイラスト577x.jpg

 

 

2)自分の心を仏以外に移さず専心に仏を(おも)うことです。これを「()()(しゅ)」と言います。

 

3()を空けず仏を念ずること、つまり念仏することです。これを「()(けん)(しゅ)」と言います。

困難かもしれませんが、この道の先輩達が言うには、「横になっていても何をしていても仏を念じなさい」と言います。

  「ぬれば夢さむればうつつ

     つかの間も忘れがたきは弥陀(みだ)の面影」

   と恵心(えしん)僧都(そうず)が歌っています(弥陀=仏)。

2022.12.27夢仏662x.jpg 

 

4)念仏を生きている限り無限に続けることです。

後には、断食も取り入れ実施しますし、朝夕の礼拝も含めます。これを「(ちょう)()(しゅ)」と言います。

「一念は一念の仏、念々は念々の仏(作仏する)」の旨を弁栄は語りました。念仏は、「一念」では無く「念々」を繰り返さなければならないと述べています。尚、忙しい現代人ですが、5月の連休や夏休みに旅行へ行く替りに5日以上弁栄式念仏瞑想(別時念仏会)をケンレンに聞き一人するか、開催の所に行き先輩に教えてもらい実施すると良いと思います。

 

念仏の質も大切でありますが、念仏をずっと続けることが大切な効果として有ります。尚、1日何回称えたかを勘定することを弁栄は、勧めていませんでした。

 

先輩は、訓練すれば、あるいは修行が進めば、他の事をしていても同時に二つのことが出来ると言います。それを「デュアルタスク」と言います。皆様も生活の行動で2つの行いを同時にされることがあるのではないでしょうか?

 

弁栄は、1.念仏しながら、2.米粒に「南無阿弥陀仏」を書きながら、3.相手の人と話しをしながら、4.米粒の数を把握しながらと4つのことを同時にされました(2.4.を弟子の柴武三が正願寺で体験して心から驚き弁栄を尊敬した)。弁栄や先輩方は、上の4種の「四修」をされていました。私達は、心で称える念仏と日常生活の2つの行動だけでも心を込めて同時に行えたら、それは素晴らしい人生と恵みが得られるでしょう。

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(なん)()(こう)(ぶつ)

難思とは、人間の考えが及ばない仏の特別優れた智慧ということです。難思光仏とは、そんな特別な智慧の私に与える仏です。

ギリシャの哲学者は「無知の知」、つまり私は無知であることが分ったと言うことです。

科学者が「考えれば考える程分らないことが増える」とよく言いますが、それと同じで仏の智慧と慈悲は人間の思考では、深過ぎて分らない特徴を持つ仏ということです。そんな深い智慧と慈悲を与えて下さる仏ということです。

 

通常、人は理性だけでは、分らないこと有り、自分の欲、感情や悩みをうまくコントロール出来ないので、智慧光仏のお智慧を頂き、難思光仏の智慧と慈悲のお力で目覚め、確信を得て解決しその覚りに近付ます。そして、段々と向上します。

 

その方法として念仏つまり、日本の瞑想方法を不断に実行すれば、心の闇は心の明けとなり、悩みなどが解決します。理性を超えた霊性段階の覚りの眼・智慧の眼が得られます。

 

念仏と言っても各種ありますが、弁栄式念仏(瞑想)は、三昧仏という仏画を自分の正面に置き、それを心の「まと」としてその画像に集中して古代インド語の「ナムアミダブ」と称えます。


 

芦屋三昧仏 511x680.jpg

       三昧仏  

これは、念仏の三昧になり易いように弁栄が描いたものです。

的と矢ws.jpg

その仏の画像を見て心をその仏に全く集中することを三昧と言い、マトに弓で矢を当てるように集中してマトそのものに成りきることです。この念仏の三昧のマトはお絵像の仏様であり、その仏様に成りきることです。その瞬間に御絵像の感じが変わる時があります。

 

また、徹底していくと大変希に御絵像が妙なる実物に変わることがあり、知恵、慈悲、真理、善、妙なる美の何かを得ます。それを「見仏」と言います。俳優の役者三昧読書三昧、絵画三昧等がありますが、それら全ての三昧の中で王に当たる三昧が念仏三昧です。

 

弁栄が、その教えを最も多く教えた者は、宗派に染まった僧侶を避け、弁護士受験中の学生、柴武三でした。弁栄と約1年半寝起きを共にし徹底して彼に教えました。彼の法話録音と著書『辨榮聖者の御垂示と三昧の念佛 附禅と念佛』等に示されています。

 

弁栄著『如来光明礼拝儀』のお経(真理を現わしたもの)で

 

甚深難思(じんじんなんし)光明(こうみょう)至心(ししん)不断(ふだん)(ねん)ずれば

信心(しんじん)喚起(かんぎ)(とき)いたり (こころ)曄曈(あけ)とは(なり)ぬべし

 

意訳:非常に奥の深い人の思いの及ばない光明を心底から絶えずに念ずれば、

   喜びと幸せと共に信心の心が呼び起され、心に太陽が昇り夜が明けたように

   きっと成るでしょう。

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甚深(じんじん):非常に奥の深い         喚起(かんぎ):呼び起す

曄曈(あけ):心に太陽が昇り夜が明けたような状態


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