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仏様の国にいかれた

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10月は長野県で風邪をひいているのに冷たい風の吹きさらす駅の野外長椅子で一夜を明かし体を痛め、11月は新潟県をあちこち回り、依頼された仕事をされ、ご病気とお疲れが溜りました・・・絵本版記載。

 

また望まれた絵やを画いておあげになりました。販売ではありません。後で御礼を頂くことはありましたが。

 

大正91116日より、柏崎浄土宗極楽寺のお念仏の会の指導をされました。その頃からお風邪の熱は非常に高くお苦しそうでしたが、それでも毎日壇上に立ってお話をなさいました。

 

20日にが終りましたが、ご病気は段々悪くなり、次のところへお出でになることが出来ず、柏崎極楽寺でご養生のため床に伏し二週間程おられました。

 

その間に全国から沢山の方々がお見舞いに集まって来てお寺はお見舞いの人で一杯でした。

 

元来浄土宗僧侶の弁栄様のお見舞いのお弟子には、禅宗信者、キリスト教神父までいました。かつて依頼されれば、他宗にも、隣国や中国大陸にも足を運んでおられました。

 

弁栄様のご病気は段々と重くなられました。そして、皆の幸せを願いつつ、大正9124

 

「大ミオヤが、大ミオヤが、南無・・・阿弥・・・陀仏・・・南無・・・阿弥・・・陀仏」の言葉を最後に息を引き取り、阿弥陀様の御国へお帰りになりました

 

随行弟子鈴木憲栄『ミオヤとのめぐり会い』より

 

61歳でした。早いように思われますが、1920年当時の平均寿命はほぼ50歳ですので当時としては長生きになります。

 

 

人格円満のお釈迦様も弁栄も、共にこの世に人間としてお生まれになり、人間とすべてのものの尊さとあらゆるものの大元に最尊絶対唯一の大親の大ミオヤが存在することをお説きになりました。

 

「大ミオヤ」は、従来阿弥陀様、無量寿如来様、如来様などとお呼びした同じ言葉ですが、隔たりを感じない賢母・慈母のように心優しさを込めて表現されたようです

 

世界の様々な神も意図する所は変わりないと言い、科学も矛盾なく含み、世界の哲学・宗教と対立しない真理の教えで、善と美が伴います。

 

弁栄、その光明主義と言う高い山の登り道を開拓されその教や、多くの本、芸術作品を残し、それでもって、今もなお私達を導いて下さっているのです。

 

2022年7月の今回で2020年6月から毎月1回連載した『真・善・美生活の賢者 山崎弁栄とその影響者達』没後百年記念の漫画伝の本文紹介と更なる解説を終了します。如何でしたでしょうか?

2020年9月発行の同印刷本には、後書きが8頁ついていて補足の人物と用語の説明が記載していますのでご参考願います。ネット上では、それは載せていません。

私の近所の音楽グループの奥様に、この本を差し上げたら「補足説明から読み始めて本文を読み、非常に感動した、子供にも読ませたい」との評価を頂きました。

アマゾンで購入して読んだイギリス在住の日本人も「感慨無量。英国友人にもすすめます」という良い感想をくださいました。こんなに純粋で有能な日本人を始めて知ったと受け止めたと思われます。

 

 

 

 

 


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