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難思光仏(意味は前回12月に記載)の続 弁才天と五正行

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弁才天の写仏 インドで戦勝と水の神

念仏(仏を念ずること)の「(ねん)」は、忘れようとしても忘れられぬ心です。

例えば、自分の好きな立派な人物がいるとすると、いつもその顔を思い浮べて忘れられない。恋しいと思う人は、携帯にその写真を写したり、自分の部屋にその写真を置いたり、壁に貼ったりして慕うことがあります。特に若い頃は。

中にはその俳優の名前を呼び、話しかけたりする人もいる。その俳優がドラマで活躍してトラブルを解決してハッピーエンドとなるのを見る時、また、その上手な歌や踊りを見る時、

自分もその俳優やタレントに成ったつもりで、泣いたり怒ったり、喜んだりして、最後ハッピー(幸福)になります。そのドラマの優しく賢くハンサムな俳優と歌踊りの上手なタレントが自分の理想の恋い人と思ってしまうことがあります。

この世の人物以上で人物として理想の方が、仏教において天人、菩薩や仏様であります。ただ、我々は天人・菩薩・仏様方のドラマを見たり、歌や踊りを見ていないのでそこまで思いがおよばないと思います。尚、俳優とタレントにご縁の深い天人が

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「弁才天」です。それは、

世間を知り尽くした智慧(ちえ)、弁舌(優れた身振りも伴う口の表現力)、技芸(工芸、美術、芸術、歌、楽器や踊り)達人で美人の女神。そして元来は、戦勝と水に関する神でした。略して弁天。また(琵琶を弾く)妙音天、美音天、大弁才功天とも呼びます。

弁才天のエピソード:京都山科の毘沙門堂には、

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秀吉の妻、高台尼の念持仏(いつも所持して念仏する神仏)の弁才天がまつられています。

ある有名なタレントは、昔宝塚を出てから売れませんでした。京都の毘沙門堂を訪れこの弁才天に成功を祈願しました。それから目標を立て俳優の訓練をして成功し、現在押しも押されぬ多能の有名タレントに成りました。本堂には、幾人かのタレント名のある供養チョウチンが今も見られます。

 

弁栄は、(けん)を賢として(いろ)()えよ」と

『人生の帰趣』「愛」p.297)で語っています。

意味は、「賢人は色好みを賢人好みに変えよ」です。「異性問題で私は人生を失敗しました」という事は、世に起きがちです。「その性の性質の存在は、結婚して子孫を残す目的で与えられたもの」と弁栄が語っています。

 私ケン蓮が思うには、結婚(または交際相手を決定)したら、浮気せずに弁才天などの特徴を持つ賢人を目指して励みなさいが大切と。注意することは、自分に合った相応の結婚相手は、世に必ず居ます。

もし二人のレベルが違い過ぎると不仲で不幸に成り易いことがありますので自分のレベル不相応に高望みをしないことです。分をわきまえることです。

 しかし、自分がこう成りたいという人生の最終目標のレベルは、高ければ高い程良いです。天人の上の何万倍のレベルに菩薩が居て、菩薩の上のレベルに仏達が居ます。仏レベルになれば、最高の幸福者となり、最高の賢者となり、最高の真善美の実行能力者になります。

しかし、この現在の人生で難しいならば、現世で1%でも、もっと少しでも上に近づけば、この人生がより幸福になり、仕事も良く出来、何事も良く気が付き、人から好まれるようになるでしょう。弁栄のように仏のレベル到達は、来世でも良いので、天人→菩薩→仏と向上して行くことが大切です。

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2月15日は、涅槃図が

博物館や寺で公開されます。この日は、人間の理想で智慧完全なお釈迦様が亡くなられた涅槃(ねはん)の日です。涅槃とは、煩悩を滅して悟りに入った事を意味します。そこには、いつも殺し合う煩悩を持つ動物達もそれを止めて集まり釈迦の死を悲しみ合います。そして、弟子、天人や菩薩も。

天人や菩薩の美しさと智慧深い賢さは絵では表現出来ないものですが、美しい天人と金色に輝く菩薩も描かれています。天人と成った摩耶夫人も天上から悲しみながら薬を持って来ています。

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お彼岸時期等は、浄土(じょうど)曼荼羅(まんだら)図が

公開されます。

そこには、菩薩や仏と素晴らしい宝に飾られたこの世に無い程美し蓮、池、楼閣(ろうかく)の世界と妙なる音楽が奏でられているこの美の世界であることが記載されています。

「その宝などの浄土の存在物は、心の各種悟りを象徴(あらわ)しているものです」と佐々木隆将恩師が説明しています。また、弁栄も啓示(けいじ)恩寵(おんちょう)』で説いています。

涅槃図や曼荼羅(まんだら)図の元となったお経には、天人、菩薩や仏のドラマが書かれています。それで2-3000年の智慧の収まったお経を何度も読んだり、阿弥陀経の絵を見聞拝読することが出来るようになっています。

弁栄はその挿絵を描いた

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阿弥陀経を

明治後半に印刷して配っていました。

それに関連して弁栄は、次ぎの「念の()正行(しょうぎょう)(五つの正しく重要な行い)を奨励しています。

 

1.「読誦(どくじゅ)」と言います。お経を拝読することです。意味が分らなくとも何度も拝読することにより、意味が分り出し、気付きや智慧を得たりします。これは、お経の話しを聞くことも含まれます。次ぎに

 

2.「観察(かんざつ)」と言い、お経を拝読し、阿弥陀経の挿絵や浄土曼荼羅図を見て、心を静めてその姿や登場物のイメージ思い浮かべて観察することです次ぎに

 

3.礼拝(らいはい)」で仏様の大変な尊さを知り仏様を心から(うやま)いその像や御絵像に頭を下げて丁寧に礼拝すれば、その仏様の優れた性質やお力の一部が、礼拝する私に移り込んで来ます。すると、そのように礼拝した私自身の尊さが増し周囲の人からの会釈が増え、

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人を引きつける魅力が増し、人が集まります。尚、仲間と複数で行なうと効果が増加します。その礼拝は、床に着ける程深く心底から礼拝するほど良いと思います。また、1日に数百回礼拝するという修行方法があります。次ぎに

 

4.「称名(しょうみょう)」と言い、仏にお会いしたいと思って仏の御名をずっと称えることです。五つの行いの中で一番大切な行いです。この御名には、あらゆる優れた性質やお力が備わっています。この御名はこの無情の世の中で永遠の人類の宝であります。

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山崎弁栄式では、弁栄の描かいた三昧仏の仏画の絵や写真を目の前正面に置き、その無量の年齢の仏様は私が生まれる前から最高の智慧、愛と慈悲とで私を思って下さると思い切って座ります。三昧仏とは、三昧に入り易いように弁栄が描いた皆の為の念持仏です。

絵画として描いてますが、深い三昧に入ると、本来絵では描けない見たことが無い次元の仏の美しさ、威厳とオーラ等を感じ、その智慧、慈悲と愛の一部を受けると先人が言います。

 

「われはただ仏にいつかあふひ草 

心のつまにかけぬ日ぞなき」(法然上人作)

法然上人は、「仏様に会いたいと心にかけない日はありません、私の心の妻をおもうように」と歌っています。世間や浄土宗では「こころのつま」を「心の端」と訳してますが、心の端であれば、忘れる時もあるでしょう。しかし、「妻」と弁栄は漢字で訳していますので忘れることなく、このように切々と感情深く(おも)うことが大切です。(『人生の()(しゅ)』「愛」p.289)

そして、古代インド語である称名の「ナム・アミ・ダブ」を強弱一定の三拍子で称えます。そのみ名を呼びかけます。そうすると、気が付かない内にアミダ仏様の優れた愛や優れた性質やお力の一部が、称える私に移り込んで来ます。

そして、少しずつ賢くなり、優しく親切になり、より幸福になり、真善美を実行する力を頂けるように成って行けます。良く気が付き気配りが出来るようになり、他の人から好まれるようになります。単独も良いですが先達(リーダー)や仲間と共に行なうと効果が高まります。そして、次ぎに

 

5.讃歎(さんだん)供養(くよう)」と言い、アミダ仏様の優れた性質とお力を褒め讃えて食品、香、お花や飾り物などをささげて供養することです。但し、弁栄式では、お絵像に集中するため極力お線香、お花と灯明のみとし、気にかからないように食品やお供えは、別室の仏壇か、行しない時にお供えします。

また、聖歌(せいか)を歌って仏菩薩を褒め讃えることも含まれ、情操を育てるのに大変良いです。弁栄作の聖歌は、大変重要で深い意味の歌詞が多く含まれます。先人は伴奏はオルガンが良いと言います。

最もベストな供養は、自分の寿命の命の時間の一部を捧げて自分の体を仏様に捧げ称名を行なう事です。

  

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