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「過激な人に負けない」

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ここでは、右翼のような過激な人達が弁栄の教えを反対し、彼らの教に従えとえらい剣幕で迫ったことに対し、弁栄が跳ね返す強さがあったエピソードをマンガにあらわしました。

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その過激な人達とは、1914年大正の時代前後に「世界を一つの家とする」の標語で生まれた日蓮宗国柱会という組織です。法華経を拠り所とする日蓮宗に加え、

天皇を頂点にする神道的国粋主義を持つ組織です。満州に進出する関東軍を支援し、その軍人、文化人や政治家が含まれていました。

彼らは、折伏、つまり、彼らの思想が唯一正しいとして、論理で説き伏せて組織に入れようとする活動を広めていました。彼らにとって説き伏せるべき浄土教思想は敵の宗教でありました。

つまり、対立的な思想を持つもので、これでは、戦いは無くなりません。古来よりこの反対の方法があり、それは、摂受(しょうじゅ)で、

摂受(しょうじゅ)とは、折伏に対する反対語。正しくは摂引容受(しょういんようじゅ)といい、その略語である。心を寛大にして相手やその間違いを即座に否定せず反発せず受け入れ、穏やかに説得することをいう(wiki)。弁栄がよく用いていました。

国柱会の荒手活動家が浄土宗に席を置く僧侶弁栄の活動を腕力に訴えても封じ込め、彼らの考えに引き入れようと弁栄の所にやって来たのです。

しかし、弁栄は、弁栄の信じる所を彼らより熱い心で堂々と説き始めるのを聞いた彼らは、弁栄に威厳さを感じたためか、恭しくお辞儀をして退散しました。

尚、国柱会は、宮沢賢治が一度所属しましたが、批判し出てしまいますが、最後に日本政府軍によって、「軍に悪影響を与える」とみなされ潰されてしまいます。弁栄は、当初浄土宗の僧侶として席を置きました。

しかし、その宗派思想より大きく広い思想で西洋哲学・東洋哲学(仏教哲学)・科学・美学・霊性・仏教と仏教以外の宗教を体系的に含んだ真善美の思想でした。それを「光明主義」と言いました。

賢治は科学・文学・音美学を含んだ独自の法華経信者でした。


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