十二光仏の中の無量寿仏 2023.6
無量寿仏 2023.06.
現代の科学では、この宇宙は、138億年前のビッグバンから始まったと言います。では、その前は、調べると〇〇理論という説があり、どうももっと前の時がありそうです。科学は「原因があって結果がある」が原則です。物が生まれるには、生むものが在るという原因があるはずです。
世界の賢人のお釈迦様がその生み手が「阿弥陀仏」と述べています。阿弥陀仏について現代の賢者山崎弁栄様は、次ぎのように『如来光明礼拝儀』の「至心に讃礼す」で以下のように述べています。尚、お釈迦様も弁栄様も「大円鏡智」といって鏡のようにあらゆる物を映し出せる智慧を獲得しています。
南 無 無 量 寿 仏
本有法身阿弥陀尊 迹を十劫に垂れ在し
本迹不ニなる霊体の 無量寿王に帰命せん
「無量寿仏」とは、始めも無く終わりも無い有り通しで寿命が無量である阿弥陀仏=阿弥陀尊のこと。「南無」は、その仏を拝みますということです。
「迹を十劫に垂れ在し」とは、例えば、天女が百年に一回地上に降りてきて160km四方の大岩石の上からその衣でなでてその岩石がすり減って無くなる年数を一劫としてその十倍の途方も無い期間、ある菩薩(法蔵)が現われ
我々生きとしいくるものの平和と幸福のための願いを立て、思考し、大変ご苦労の修行して願いがかない阿弥陀仏様となり、極楽に居られましたという意味です。菩薩の世界は、人間世界と異なってとても長い年月で行動されていることになります。
「本迹不ニなる霊体の 無量寿王に帰命せん」の「本」とは有り通しの無量寿仏で「跡」とは、菩薩が修行して阿弥陀仏様になった阿弥陀仏でこの二つの仏は「不二」つまり、別々では無い実質同じ「霊体」つまり、霊性のお体であります。その「無量寿の王」=無量寿仏に「帰命」つまり、こころから帰依しますと言う意味です。
次回は