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難思光仏(意味は前回12月に記載)の続 弁才天と五正行

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弁才天の写仏 インドで戦勝と水の神

念仏(仏を念ずること)の「(ねん)」は、忘れようとしても忘れられぬ心です。

例えば、自分の好きな立派な人物がいるとすると、いつもその顔を思い浮べて忘れられない。恋しいと思う人は、携帯にその写真を写したり、自分の部屋にその写真を置いたり、壁に貼ったりして慕うことがあります。特に若い頃は。

中にはその俳優の名前を呼び、話しかけたりする人もいる。その俳優がドラマで活躍してトラブルを解決してハッピーエンドとなるのを見る時、また、その上手な歌や踊りを見る時、

自分もその俳優やタレントに成ったつもりで、泣いたり怒ったり、喜んだりして、最後ハッピー(幸福)になります。そのドラマの優しく賢くハンサムな俳優と歌踊りの上手なタレントが自分の理想の恋い人と思ってしまうことがあります。

この世の人物以上で人物として理想の方が、仏教において天人、菩薩や仏様であります。ただ、我々は天人・菩薩・仏様方のドラマを見たり、歌や踊りを見ていないのでそこまで思いがおよばないと思います。尚、俳優とタレントにご縁の深い天人が

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「弁才天」です。それは、

世間を知り尽くした智慧(ちえ)、弁舌(優れた身振りも伴う口の表現力)、技芸(工芸、美術、芸術、歌、楽器や踊り)達人で美人の女神。そして元来は、戦勝と水に関する神でした。略して弁天。また(琵琶を弾く)妙音天、美音天、大弁才功天とも呼びます。

弁才天のエピソード:京都山科の毘沙門堂には、

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秀吉の妻、高台尼の念持仏(いつも所持して念仏する神仏)の弁才天がまつられています。

ある有名なタレントは、昔宝塚を出てから売れませんでした。京都の毘沙門堂を訪れこの弁才天に成功を祈願しました。それから目標を立て俳優の訓練をして成功し、現在押しも押されぬ多能の有名タレントに成りました。本堂には、幾人かのタレント名のある供養チョウチンが今も見られます。

 

弁栄は、(けん)を賢として(いろ)()えよ」と

『人生の帰趣』「愛」p.297)で語っています。

意味は、「賢人は色好みを賢人好みに変えよ」です。「異性問題で私は人生を失敗しました」という事は、世に起きがちです。「その性の性質の存在は、結婚して子孫を残す目的で与えられたもの」と弁栄が語っています。

 私ケン蓮が思うには、結婚(または交際相手を決定)したら、浮気せずに弁才天などの特徴を持つ賢人を目指して励みなさいが大切と。注意することは、自分に合った相応の結婚相手は、世に必ず居ます。

もし二人のレベルが違い過ぎると不仲で不幸に成り易いことがありますので自分のレベル不相応に高望みをしないことです。分をわきまえることです。

 しかし、自分がこう成りたいという人生の最終目標のレベルは、高ければ高い程良いです。天人の上の何万倍のレベルに菩薩が居て、菩薩の上のレベルに仏達が居ます。仏レベルになれば、最高の幸福者となり、最高の賢者となり、最高の真善美の実行能力者になります。

しかし、この現在の人生で難しいならば、現世で1%でも、もっと少しでも上に近づけば、この人生がより幸福になり、仕事も良く出来、何事も良く気が付き、人から好まれるようになるでしょう。弁栄のように仏のレベル到達は、来世でも良いので、天人→菩薩→仏と向上して行くことが大切です。

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2月15日は、涅槃図が

博物館や寺で公開されます。この日は、人間の理想で智慧完全なお釈迦様が亡くなられた涅槃(ねはん)の日です。涅槃とは、煩悩を滅して悟りに入った事を意味します。そこには、いつも殺し合う煩悩を持つ動物達もそれを止めて集まり釈迦の死を悲しみ合います。そして、弟子、天人や菩薩も。

天人や菩薩の美しさと智慧深い賢さは絵では表現出来ないものですが、美しい天人と金色に輝く菩薩も描かれています。天人と成った摩耶夫人も天上から悲しみながら薬を持って来ています。

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お彼岸時期等は、浄土(じょうど)曼荼羅(まんだら)図が

公開されます。

そこには、菩薩や仏と素晴らしい宝に飾られたこの世に無い程美し蓮、池、楼閣(ろうかく)の世界と妙なる音楽が奏でられているこの美の世界であることが記載されています。

「その宝などの浄土の存在物は、心の各種悟りを象徴(あらわ)しているものです」と佐々木隆将恩師が説明しています。また、弁栄も啓示(けいじ)恩寵(おんちょう)』で説いています。

涅槃図や曼荼羅(まんだら)図の元となったお経には、天人、菩薩や仏のドラマが書かれています。それで2-3000年の智慧の収まったお経を何度も読んだり、阿弥陀経の絵を見聞拝読することが出来るようになっています。

弁栄はその挿絵を描いた

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阿弥陀経を

明治後半に印刷して配っていました。

それに関連して弁栄は、次ぎの「念の()正行(しょうぎょう)(五つの正しく重要な行い)を奨励しています。

 

1.「読誦(どくじゅ)」と言います。お経を拝読することです。意味が分らなくとも何度も拝読することにより、意味が分り出し、気付きや智慧を得たりします。これは、お経の話しを聞くことも含まれます。次ぎに

 

2.「観察(かんざつ)」と言い、お経を拝読し、阿弥陀経の挿絵や浄土曼荼羅図を見て、心を静めてその姿や登場物のイメージ思い浮かべて観察することです次ぎに

 

3.礼拝(らいはい)」で仏様の大変な尊さを知り仏様を心から(うやま)いその像や御絵像に頭を下げて丁寧に礼拝すれば、その仏様の優れた性質やお力の一部が、礼拝する私に移り込んで来ます。すると、そのように礼拝した私自身の尊さが増し周囲の人からの会釈が増え、

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人を引きつける魅力が増し、人が集まります。尚、仲間と複数で行なうと効果が増加します。その礼拝は、床に着ける程深く心底から礼拝するほど良いと思います。また、1日に数百回礼拝するという修行方法があります。次ぎに

 

4.「称名(しょうみょう)」と言い、仏にお会いしたいと思って仏の御名をずっと称えることです。五つの行いの中で一番大切な行いです。この御名には、あらゆる優れた性質やお力が備わっています。この御名はこの無情の世の中で永遠の人類の宝であります。

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山崎弁栄式では、弁栄の描かいた三昧仏の仏画の絵や写真を目の前正面に置き、その無量の年齢の仏様は私が生まれる前から最高の智慧、愛と慈悲とで私を思って下さると思い切って座ります。三昧仏とは、三昧に入り易いように弁栄が描いた皆の為の念持仏です。

絵画として描いてますが、深い三昧に入ると、本来絵では描けない見たことが無い次元の仏の美しさ、威厳とオーラ等を感じ、その智慧、慈悲と愛の一部を受けると先人が言います。

 

「われはただ仏にいつかあふひ草 

心のつまにかけぬ日ぞなき」(法然上人作)

法然上人は、「仏様に会いたいと心にかけない日はありません、私の心の妻をおもうように」と歌っています。世間や浄土宗では「こころのつま」を「心の端」と訳してますが、心の端であれば、忘れる時もあるでしょう。しかし、「妻」と弁栄は漢字で訳していますので忘れることなく、このように切々と感情深く(おも)うことが大切です。(『人生の()(しゅ)』「愛」p.289)

そして、古代インド語である称名の「ナム・アミ・ダブ」を強弱一定の三拍子で称えます。そのみ名を呼びかけます。そうすると、気が付かない内にアミダ仏様の優れた愛や優れた性質やお力の一部が、称える私に移り込んで来ます。

そして、少しずつ賢くなり、優しく親切になり、より幸福になり、真善美を実行する力を頂けるように成って行けます。良く気が付き気配りが出来るようになり、他の人から好まれるようになります。単独も良いですが先達(リーダー)や仲間と共に行なうと効果が高まります。そして、次ぎに

 

5.讃歎(さんだん)供養(くよう)」と言い、アミダ仏様の優れた性質とお力を褒め讃えて食品、香、お花や飾り物などをささげて供養することです。但し、弁栄式では、お絵像に集中するため極力お線香、お花と灯明のみとし、気にかからないように食品やお供えは、別室の仏壇か、行しない時にお供えします。

また、聖歌(せいか)を歌って仏菩薩を褒め讃えることも含まれ、情操を育てるのに大変良いです。弁栄作の聖歌は、大変重要で深い意味の歌詞が多く含まれます。先人は伴奏はオルガンが良いと言います。

最もベストな供養は、自分の寿命の命の時間の一部を捧げて自分の体を仏様に捧げ称名を行なう事です。

  

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山崎弁栄の教え 不断光の続き

不断光仏の続き (12

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2022年の主題:ゴーギャンの絵にちなんで、「私達は、どこから来て、どこを目指し、どこへ行くのか?」の続2

 

どこを目指すか」の答えは、最高に賢く、最高に各種の能力があり、最高に幸福で、最高に他者に優しく、真善美を備えた人格円満な人間に成ることを目指すことと思います。またこれらが人間の生きる目的です。あなたは、「これは不可能だ」と言うかも知れませんが、0.1%でも達成出来たら、人から好かれ素晴らしい人生になります。その方法を少しづつ以下のように説明します。

 

 

不断光仏の「不断」=「絶え間無く」を更に説明すると、どれも修めるべき4つの修行方法があります。

 

1)私の遙かに理想とする全智全能お方、仏に(うやうや)しく無上の尊敬心を持つことが大切であす。

これを恭敬(くぎょう)(しゅ)と言います。

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2)自分の心を仏以外に移さず専心に仏を(おも)うことです。これを「()()(しゅ)」と言います。

 

3()を空けず仏を念ずること、つまり念仏することです。これを「()(けん)(しゅ)」と言います。

困難かもしれませんが、この道の先輩達が言うには、「横になっていても何をしていても仏を念じなさい」と言います。

  「ぬれば夢さむればうつつ

     つかの間も忘れがたきは弥陀(みだ)の面影」

   と恵心(えしん)僧都(そうず)が歌っています(弥陀=仏)。

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4)念仏を生きている限り無限に続けることです。

後には、断食も取り入れ実施しますし、朝夕の礼拝も含めます。これを「(ちょう)()(しゅ)」と言います。

「一念は一念の仏、念々は念々の仏(作仏する)」の旨を弁栄は語りました。念仏は、「一念」では無く「念々」を繰り返さなければならないと述べています。尚、忙しい現代人ですが、5月の連休や夏休みに旅行へ行く替りに5日以上弁栄式念仏瞑想(別時念仏会)をケンレンに聞き一人するか、開催の所に行き先輩に教えてもらい実施すると良いと思います。

 

念仏の質も大切でありますが、念仏をずっと続けることが大切な効果として有ります。尚、1日何回称えたかを勘定することを弁栄は、勧めていませんでした。

 

先輩は、訓練すれば、あるいは修行が進めば、他の事をしていても同時に二つのことが出来ると言います。それを「デュアルタスク」と言います。皆様も生活の行動で2つの行いを同時にされることがあるのではないでしょうか?

 

弁栄は、1.念仏しながら、2.米粒に「南無阿弥陀仏」を書きながら、3.相手の人と話しをしながら、4.米粒の数を把握しながらと4つのことを同時にされました(2.4.を弟子の柴武三が正願寺で体験して心から驚き弁栄を尊敬した)。弁栄や先輩方は、上の4種の「四修」をされていました。私達は、心で称える念仏と日常生活の2つの行動だけでも心を込めて同時に行えたら、それは素晴らしい人生と恵みが得られるでしょう。

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(なん)()(こう)(ぶつ)

難思とは、人間の考えが及ばない仏の特別優れた智慧ということです。難思光仏とは、そんな特別な智慧の私に与える仏です。

ギリシャの哲学者は「無知の知」、つまり私は無知であることが分ったと言うことです。

科学者が「考えれば考える程分らないことが増える」とよく言いますが、それと同じで仏の智慧と慈悲は人間の思考では、深過ぎて分らない特徴を持つ仏ということです。そんな深い智慧と慈悲を与えて下さる仏ということです。

 

通常、人は理性だけでは、分らないこと有り、自分の欲、感情や悩みをうまくコントロール出来ないので、智慧光仏のお智慧を頂き、難思光仏の智慧と慈悲のお力で目覚め、確信を得て解決しその覚りに近付ます。そして、段々と向上します。

 

その方法として念仏つまり、日本の瞑想方法を不断に実行すれば、心の闇は心の明けとなり、悩みなどが解決します。理性を超えた霊性段階の覚りの眼・智慧の眼が得られます。

 

念仏と言っても各種ありますが、弁栄式念仏(瞑想)は、三昧仏という仏画を自分の正面に置き、それを心の「まと」としてその画像に集中して古代インド語の「ナムアミダブ」と称えます。


 

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       三昧仏  

これは、念仏の三昧になり易いように弁栄が描いたものです。

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その仏の画像を見て心をその仏に全く集中することを三昧と言い、マトに弓で矢を当てるように集中してマトそのものに成りきることです。この念仏の三昧のマトはお絵像の仏様であり、その仏様に成りきることです。その瞬間に御絵像の感じが変わる時があります。

 

また、徹底していくと大変希に御絵像が妙なる実物に変わることがあり、知恵、慈悲、真理、善、妙なる美の何かを得ます。それを「見仏」と言います。俳優の役者三昧読書三昧、絵画三昧等がありますが、それら全ての三昧の中で王に当たる三昧が念仏三昧です。

 

弁栄が、その教えを最も多く教えた者は、宗派に染まった僧侶を避け、弁護士受験中の学生、柴武三でした。弁栄と約1年半寝起きを共にし徹底して彼に教えました。彼の法話録音と著書『辨榮聖者の御垂示と三昧の念佛 附禅と念佛』等に示されています。

 

弁栄著『如来光明礼拝儀』のお経(真理を現わしたもの)で

 

甚深難思(じんじんなんし)光明(こうみょう)至心(ししん)不断(ふだん)(ねん)ずれば

信心(しんじん)喚起(かんぎ)(とき)いたり (こころ)曄曈(あけ)とは(なり)ぬべし

 

意訳:非常に奥の深い人の思いの及ばない光明を心底から絶えずに念ずれば、

   喜びと幸せと共に信心の心が呼び起され、心に太陽が昇り夜が明けたように

   きっと成るでしょう。

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甚深(じんじん):非常に奥の深い         喚起(かんぎ):呼び起す

曄曈(あけ):心に太陽が昇り夜が明けたような状態


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2022-11-26 ①どこから来て、②どこを目指し、③どこへ行くのか?

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質問します。ゴーギャンの絵にちなんで、「私達は、どこから来て、どこを目指し、どこへ行くのか?」

 

どこを目指すか」の答えは、最高に賢く、最高に各種の能力があり、最高に幸福で、最高に他者に優しく、真善美を備えた人格円満な人間に成ることを目指すことと思います。またこれらが人間の生きる目的です。

 

「そんなこと不可能だし、そんな人間はいないよ」とあなたは言うかも知れません。「いいえ」そんな人間は、今までに存在していたのです。

 

その人物は、インドの釈迦です。青年の時に優秀な先生により学問を学び、技芸(ぎげい)(各種の技と芸の道)を学び最高の能力を得ました。しかし、生涯にいつか出会う無情な(いきる)(おいる)(やまい)・死の苦しみを持つ人を見て、

 

それを解決するために最高の修行をして最高の覚りを得て最高の賢者と最高の幸福者になりました。同時に最高に優しく愛の深い人格円満な人間になりました。

 

日本では、江戸時代終わりに農家に生まれた山崎弁栄がいます。山崎の幼年期と青年期に朝から夕方まで農業を手伝い、念仏修行も行いながら、学校も行かず当時高価で最高の大辞典を借りて書き写し、

 

それを用いて独学で国語と漢文をマスターし、多くの書物を読みました。

 

それ迄の厳し修行に加えて23歳の時、筑波山での2ヶ月の最高の修行で覚りを得て最高の幸福を得、各種の能力を得ました。

 

以後も修行もして人格円満な人間になりました。その優しさは、若草やアリも踏まないように遠回りをされるほどでした。

 

けれど、こんなに最高に難しい修行は、不可能とあなたは思うでしょう。しかし、釈迦や弁栄より、もっとやさしく短期の修行で少しでも近づくことは全く可能です。今は100%到達しなくても1%程の少しでも近づけば良いのです。

 

それだけで他の人より優れた人間になることが出来、より幸福になることが出来ます。1~3%近づけば、もう立派な人間です。あなたは、以前より、賢くなり、能力が増し仕事がうまく出来、幸福度が増し、他者に優しくなり人から好かれる人間に変わるでしょう。

 

生きる最終目標さえ決めてしまえば、あなたは、最初の一歩の安心という幸が得られます。調度高い山に一歩一歩登るスタートのように進めます。

人生の最終目標を弁栄は『人生の()(しゅ) (帰着点)』と言い、その本は、宇宙の大元である真如(=ミオヤ、大法身、法身如来、如来)の元から生まれて最終そこへ帰着する旨記載しています。

その進化と人の修養の過程で多くの能力を付けて行くとも。難解ですが、数学と教育学者の岡潔博士も勧めています。

 

「目標は、高ければ高いほど良いです」と田中木又先生が言います。人の精神は、来世に持ち越せるので来世で目標を更に近づけ達成することが可能と言います。

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 私達の大元の先祖は、現代科学では、38億年以上前に生まれたアメーバですと説明します。アメーバはどこから生まれたのでしょう?

 

それは、太古の海から生まれ、海は、46億年前の地球誕生から、また、地球は、宇宙に漂うガスやチリから生まれ、それは、約138億年前のビッグバンから生まれたと言います。

 

ビッグバンとは、ミクロの点から宇宙が次第に膨張して生まれたことを言います。全く不思議な神技です。

では、この宇宙の始まりビッグバンは、どこから生まれたのでしょう?科学は推論はありますが、定かではなく不明の状態です。たとえ明確化したものが発見されたとしても更にその先の原因が不明となり続けることが起こっているのが科学の実態です。

 

そこで、最高に賢い釈迦と弁栄は、物事の原因と大元で、元々永遠の昔からおられた全能の如来様がこの宇宙を作られたと述べました。

 

如来様は創造主の神仏でしょうか?

はい、その通りで、「キリスト教、イスラム教の創造主の神(ゴッドとアラー)や神道の神も呼び方が違うけれど意味するところは同じと弁栄は言います。

 

「如来」は科学の法則も世に与えていますが、科学よりもっともっと広く深い「(ほう)」というルールを持ち我々をそれでコントロールしています。例えば、法の中には、過去から現在までの無量(限りない多くの数)の出来事が原因で現在の出来事が成り立っているというルールがあり、それを「縁起(えんぎ)」と言います。全ての現象は、 原因や条件が相互に関係しあって成立しているものです。

 

縁起では、自分の現在を良くすれば、未来が良くなります。自分の現在のあり方は、将来にとって大変重要です。

 

また、その過去は、縦軸の過去だけでなく、横軸の世界の影響、つまり、欧米や中国アジアからの世界の経済や軍事力、科学力等の影響も受けて現在の私達の出来事が起こっているという事も「縁起」です。

 

最初の質問、①私達はどこから来て ②どこを目指し ③どこへ行くのか の答えは、如来から生まれて②釈迦や弁栄のような人格者に成ることを目指し、③如来の元に行き着くことが結論になります。


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大正パンデミックと弁栄の弟子

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大正8年のマンガです。食事の時も医者の電話の呼びリンが多いので、逃げだし芝居を見に行き、見つかりマスクで顔をかくして見ていたストーリーです。ほとんどの医者はこうでないかもしれませんが、僅かにいたのか、想像のマンガかは不明です。

 

『さえられぬ光に遇いて』

 著者、熊野好月(旧姓徳永愛子1895~1975行年九十歳)は、大正九年まで活躍された山崎弁栄の弟子で当時学校の教師の時より出遇いが始まり、何ヶ月か随行(ずいこう)(お供として従い学ぶ)の旅をする。弁栄より、学生を指導するように依頼されて、関西を起点とし、それに生涯を捧げる。光明会初代婦人部長であり、岡潔博士の妻、みちき相談相手でもありました。また、東京都の跡見学園大学の創始者、(あと)()()(けい)の友として、大正十二年関東大震災の頃から彼女の仕事を手伝った。

 

 その熊野先生の著書『さえられぬ光に遇いて』(百八十四頁)を一般向けに、難しい所は削除し要点を編集して毎月何年かにわたり(註や解説)を入れてケンレンが紹介します。今回先月の終部を含めた続き2回目です。

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親は子を子は親を唯一無上のたよりとし、宝として、この幸福を与えて下さった親様(大親様=仏様)のましますことを知らずにおった私共の上に思いがけない警鐘はうちならされました。

 

当時の私にとっては、余りに無情な余りにも手厳しいものでありました。それは、一家の希望であり光明であった大学在学中の長兄が*流感のため急に倒れたことであります。

 

結核予防会 会報より、 今も売られている書物がある。中身は,1922(大 正11)年に内務省衛生局(現在の厚生労働省)が編纂 した“スペイン風邪”と呼ばれる『流行性感冒』流感の報

 いわゆる“スペイン風邪”は,1918(大正7)年から 1921(大正10)年にかけて世界を覆いつく

 

したインフルエンザ(流行性感冒)の大流行である。世界中で当 時の人口の4分の1程度に相当する5億人が感染した とされ,死者数は1,700万人から5,000万人との推計が ある。

 

本書によれば,日本(当時人口5,600万人)で の流行は,第1波1918(大正7)年8月~ 1919(大正 8)年7月,第2波1919(大正8)年10月~ 1920(大 正9)年7月,第3波1920(大正9)年8月~ 1921(大 正10)年7月の3波に及び,全患者数23,804,673人7935千人/年),全 死者388,727人(致死率1.63%)としている。

 

 

ジョ ンズ・ホプキンス大 によると昨年春 新型コロナウイルス感染症は,世界192か国の感染者 137,214,213人,死亡者2,956,621人,日本では感染者 508,344人,死亡者9,393人(2021年4月13日現在,)であり,“スペ イン風邪”はこれを はるかに上回る。

 

今日のコロナ社会と比べ厳しいスペイン風邪の環境の中で熊野好月先生もその恩師山崎弁栄師もよく5日間泊まり込みの集会を頑張って実施されたことと思われます。その間休憩中は、外に出て日光に当たりなさいとインフルエンザ対策を指導されたとの事です。

 

NHKの国内統計2022.11月までの25ヶ月間の罹患者2261万人、死者数46,981/25ヶ月。致死率 0.21%。大正のインフルエンザの1.63%より1桁少ない。しかし、コロナ後遺症死を含めるともっと高くなるのでは? 

 

続いて中心であった父が、兄を悲しむ余り、兄の忌明けの日に脳溢血を起して、再び立つことの出来ぬ身となったことであります。

これぞ「晴天のへきれき」、残された母を始め世間知らずの私共はお先真っ暗になり、一体どうなるかとただおろおろするばかりでありました。

 

残念ながら、1907年~1910スペイン風邪などその時代の世界的な悪影響で人類の過去からの自然に逆らった悪の行為の結果の報いというのが仏教的な見方。『仏説阿弥陀経』からの仏教用語で「五濁」の悪世という。

(1)(こう)(じょく)は時代の濁りで、戦争、疫病、飢饉(ききん)などの時代的な環境社会の穢れをいう。

実際当時一九~二〇世紀前半にかけて、世界植民地戦争関連など国内外世界的に戦争と流行病の多い世紀でした。しかし、現在もコロナで当てはまると思われます。

 

(2)(けん)(じょく)思想の乱れで、種々の邪悪な思想(偽宗教・政治・メディア)が流行することをいう。

(3)煩悩濁は煩悩の流行をいう。貪(むさぼ)りや怒りや世間知らずな迷いなどがはびこり、人心は乱れ、悪徳の横行する世相をいう。(世界貿易争いの貪りとその闘争の怒り)

(4)(しゅう)(じょう)(じょく)は人間の善行意欲が低下し、心に活気がなく、不健康で、苦労の多い世間となり、同時に人間の質の低下をみる状態をいう。

(5)(みょう)(じょく)は人間の寿命が短くなることをいい、最後には寿命は10歳にまで縮まる。

 

 

2回「なやみの底」

 一家は淋しさと不安と嘆きの声のみに、満されました。ああ、今までの和気に満ちて楽しかった雰囲気は何処へいって仕舞ったのか、夢であったのでしょうか?

人は死ぬものであるという事は知っていましたけれど、私の直ぐそばに死魔の手がのばされようとは、しかも家の中心を抜き取って仕舞われようとは愚かにも夢にも思いもかけなかったことでありました。

 昨日まで快活に談笑しておった兄が,今日は早や呼べど何の答えむない白骨と変りはてて仕舞った。一体**魂の行方はどうなったのでしょうか?

 

一家の嘱望を荷負つての懸命の努力と修得した学問は一体どうなったのであろうか? 

 体と共に消滅したとすれば余りにもはかない事である。またこう考える事は恐しくもございました。自分たちがこうしてあくせくと働いているのは、丁度はつか鼠が車を廻す姿と同じで、じっとしておれば落ちると思ってただ足と手を忙しそうに動かしているが、よそから見れば一つ所にじっとしていて車だけがくるくるまわっている。それと同じ、自分の姿を見出したのであります。

 

一体私は何の為に生きているのか? 何を目的として毎日を忙しく暮しているのか? こうして憶測していても兄のように**死んで仕舞へば万事消滅するではないか、父の様に病気につけば頭に蔵めた万巻の書も腕に覚えた技も何の役に立たぬものになつて仕舞うではないかと考えて来る時、何をする気力もなくなって仕舞いました。

 

**仏教では、死は、肉体・身体の死であり、心の本体は、残りまた、次ぎに生まれる人間の素養に引き継がれ、進化し続ける。生きている時に悪い行いをすれば、それも引き継がれ、退化した動物に産まれ変わることもある。


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詳細版1 私達は、どこから来て、どこを目指し、どこへ行くのか?

質問します。「私達は、どこから来て、どこを目指し、どこへ行くのか?」

 

どこを目指すか」の答えは、最高に賢く、最高に各種の能力があり、最高に幸福で、最高に他者に優しく、真善美を備えた人格円満な人間に成ることを目指すことと思います。またこれらが人間の生きる目的です。

 

「そんなこと不可能だし、そんな人間はいないよ」とあなたは言うかも知れません。「いいえ」そんな人間は、今までに存在していたのです。

 

その人物は、インドの釈迦です。青年の時に優秀な先生により学問を学び、技芸(ぎげい)(各種の技と芸の道)を学び最高の能力を得ました。しかし、生涯にいつか出会う無情な(いきる)(おいる)(やまい)・死の苦しみを持つ人を見て、

 

それを解決するために最高の修行をして最高の覚りを得て最高の賢者と最高の幸福者になりました。同時に最高に優しい人格円満な人間になりました。

 

亡くなられてからは、永遠の浄土(じょうど)(きよらかな世界)と言う名の所へ行かれました。そこは、色々な名の仏様、菩薩様(観音様など)を唯一統治しまとめる全能(ぜんのう)(全ての能力持ち)のアミダ如来様が住む世界です。その如来様の元に帰りました。

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アミダ仏・観音/勢至菩薩の三尊仏 弁栄画

日本では、江戸時代終わりに農家に生まれた山崎弁栄がいます。山崎の幼年期と青年期に朝から夕方まで農業を手伝い、念仏修行も行いながら、学校も行かず当時高価で最高の大辞典を借りて書き写し、

 

それを用いて独学で国語と漢文をマスターし、多くの書物を読みました。

 

今迄の厳し修行に加えて23歳の時、筑波山での2ヶ月の最高の修行で覚りを得て最高の幸福を得、各種の能力を得ました。

 

以後も修行もして人格円満な人間になりました。その優しさは、若草やアリも踏まないように遠回りをされるほどでした。亡くなられてからはお浄土へ行かれました。

 

けれど、こんなに最高に難しい事は、不可能とあなたは思うでしょう。しかし、少しでも近づくことは全く可能です。今は100%到達しなくても1%程の少しでも近づけば良いのです。

 

それだけで他の人より優れた人間になることが出来、より幸福になることが出来ます。1~3%近づけば、もう立派な人間です。あなたは、以前より、賢くなり、能力が増し仕事がうまく出来、幸福度が増し、他者に優しく深い愛の人となり、人から好かれる人間に変わるでしょう。

 

生きる最終目標さえ決めてしまえば、あなたは、調度高い山に一歩一歩登るように進めます。人生の最終目標を弁栄は「人生の()(しゅ)(帰着点)」と言い、その本が難解ですが書かれています。

 

目標は、高ければ高いほど良いです。人の精神は、来世に持ち越せるので来世で目標を更に近づけ、達成することが可能と言います。

 

私達の先祖と大元は、現代科学では、38億年以上前に生まれたアメーバですと説明します。アメーバはどこから生まれたのでしょう?

 

それは、太古の海から生まれ、海は、46億年前の地球誕生から、また、地球は、宇宙に漂うガスやチリから生まれ、それは、約138億年前のビッグバンから生まれたと言います。

 

ビッグバンとは、ミクロの点から宇宙が次第に膨張して生まれたことを言います。全く不思議な神技です。

 

では、この宇宙の始まりビッグバンは、どこから生まれたのでしょう?科学は推論はありますが、定かではなく不明の状態です。たとえ明確化したものが発見されたとしても更にその先の原因が不明となり続けることが起こっているのが現状です。

 

そこで、最高に賢い釈迦と弁栄は、元々永遠の昔からおられた全能のアミダ如来様がこの宇宙を作られたと述べました。表題の①「私達はどこから来て」の答えは、この「アミダ如来」からとなります。

 

それ(アミダ如来様)は創造主の神仏でしょうか?

はい、その通りで、「キリスト教、イスラム教の創造主の神(ゴッドとアラー)や神道の神も呼び方が違うけれど意味するところは同じと弁栄は言います。

以後アミダ如来様を簡単に「如来」と書き表わし説明をしたいと思います。

 

「如来」は科学の法則も世に与えていますが、科学よりもっとともっと広く深い「(ほう)」というルールを持ち我々をそれでコントロールしています。例えば、「法」の中には、過去からの無量(限りない多くの数)の出来事が原因で現在の出来事が成り立っているというルールがあり、それを「縁起(えんぎ)」と言います。

 

自分の現在を良くすれば、未来が良くなることも意味します。自分の現在のあり方は、将来にとって大変重要です。


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勉強法動画、弁栄弟子の好月先生の本その1、弁栄の一般向き十二光仏の解説その2


 

①弁栄の幼児期から農業を手伝っていた十七歳頃までの勉強の仕方を現代化した教育者の動画です。

 

②今月より 大正九年まで活躍された山崎弁栄の弟子で当時学校の教師の熊野好月(旧姓徳永愛子1895~1975行年九十歳)

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の書かれた『さえられぬ光に遇いて』の

内容を紹介したいと思います。彼女は、何ヶ月か弁栄との随行(ずいこう)(お供として従える)の旅をしました。弁栄より、学生を指導するように依頼されて、関西を起点とし、昭和50年までそれに生涯を捧げます。岡潔博士の妻、みちのき相談相手でもありました。

 

本 さえられぬ光に遇いて482x697.jpg

 その熊野先生の著書『さえられぬ光に遇いて』(百八十四頁)を一般向けに、難しい所は削除し要点を編集して毎月何年かにわたり紹介します。

 

第一回は、一頁から三頁の内容です。時は明治の終わり頃で好月先生が高等学校通学の頃です。当時は、コレラが流行し、現在のコロナ流行と同じように、手洗い、新鮮な空気と換気および病人の隔離が対策として重要でした。

 

 

その1.幸せが青天のへきれき

 

 財産は無くとも、とりわけ平和な家庭の中に育まれた私はに幸でありまし。破はわずかに八人のを何とか暮らせ、おゆずりのを身につけ

 

食はわずかに餓えをしのぐに足りるという貧洗が如き状態ではりましたけれども、他に迷惑かける程ではありませんでした。

 

 先祖が残した元の田畑と父のによって得らるるわずかの資は皆子供の学資と消えていきました。あらゆる苦労をして、

 

ひたすらに子等と体の衣食住と、はかられた父母の尊くも有り難さを感謝せずに居られませぬ。

 

有難さを感激せずにはられませぬ

  父母はらからおのもおのも

    明くればそれぞれ務めにつき

  暮るれば一つち集い

    楽しくのどかにらいつつ

 

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 団らんの楽しいタの思い出は今に忘られぬなつかしいのがります。にかよな幸福な家庭がとあろうかと、子供心思われた程でりました。

 

の幸福だけはいつまでも、何処までも、長く変らぬものとお互いにじ切っており、そこに無常の風の吹き入る隙間があろうとは誰も思い及ばぬことでありました。

 

親は子を子は親を唯一無上のたよりとし、宝として、この幸福を与えて下さった(大)親様(=仏様)のましますことを知らずにおった私共の上に思いがけない警鐘はうちならされました。

 

当時の私にとっては、余りに無情な余りにも手厳しいものでありました。それは、一家の希望であり光明であった大学在学中の長兄が流感のため急に倒れたことであります。

 

続いて中心であった父が、兄を悲しむ余り、兄の忌明け(死後90日)の日に脳溢血を起して、再び立つことの出来ぬ身となったことであります。

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これぞ「晴天のへきれき」、残された母を始め世間知らずの私共はお先真っ暗になり、一体どうなるかとただおろおろするばかりでありました。

 

③弁栄の一般向き十二光仏(こうぶつ)の解説その2

 

8月記載、如来の智慧光仏の続き

 

智慧を育てる初期段階で重要なことは、母親の胎内の赤ちゃんに「いい子だ」などと話しかけることが、胎内教育と言って良い教育になります。弁栄は更に、赤ちゃんの単細胞生成の前から、恐怖心をあおるドラマやむさぼる等の欲の心、

つまり汚れたものを見聞すること避け、美しい物や安らかなものを出来るだけ見聞きすることが良い教育になると述べています。夫についても同じで、攻撃ゲーム等するは、精子形成中2ヶ月間は好ましくないです。

現代の変わり種や異常なことに目をひかそうとするメディア情報、不自然で奇抜なコマーシャルは、避けるのが好ましいです。

 

また、「三つ子の魂百まで」と言われ、弁栄もこの時に性格と人柄が定まる重要な時期であり、親や上の兄弟が正しい手本を見せたり、充分褒めたり(九回褒め一回しかる)大事にしてげることが大切です。

 

この時期の親は、寝ていようが起きていようが我が子に、なでながら「良い子だ、良い子だ」と語りかけながら育てると本当にそうなる傾向があります。その親の接し方が胎教と似た効果があるのです。弁栄の大弟子田中木又先生もそう語っています。

 

そして、現代日本は、この大事な時期に親の都合で授乳を一才前後で早めに断って、保育園に預けてしまう親がほとんどですが、出来る限り3才近く授乳を続けることが心と体の成長に好ましいです。親孝行で人間味のある賢い子に育ちます。

 

世界保健機構は、3年間を推奨していて、世界平均は、3年以上です。0-3歳、親が具体的な物を見せて映像と共に多くの言葉を学習させて教育すると良い効果が得られます。映像は右脳を使いますので

弁栄の伝記に本を「ピー」とめくって本の内容を覚えてしまう所がありました。これこそ覚りで深まった智慧光仏の力が弁栄の右脳に働いたために出来たことです。その弁栄伝記をヒントに教育家、七田眞が右脳を働かせるために

画像カードを高速使用した「七田式教育」として60年前から海外まで広めています。それで学生が速読も出来、人生で必用な多くの本が読めることが出来ます。現代ほど人生で多くの分野の知識と智慧が必用な時代はありません。

 

幼児期に百科事典を覚えて日本1の大学に入学したり、教師になった先生もいます。英語教育でも同じです。TOEIC試験満点になれば、世界1流大学に入学出来たりします。とにかく早期に言語教育することが人間の基本の一つとして特別に大切なことです。

 

それが智慧光仏の初期の基本になります。弁栄の幼少期の本好きが良い例です。では、中期の基本とは何でしょうか?それは、めい想です。弁栄の父が教えた日本式めい想である浄土宗系のねんぶつのめい想です。

弁栄後期の基本は、明治33年頃から晩年までの光明主義の弁栄式念仏三昧瞑想(ねんぶつさんまいめいそう)です。

 

「教育」とは、親、先輩や先生が各方面の点からその子に質問をして回答を考えさせること。そのことが知・智を引き出す教育Education(引き出すの意味がある)の真の方法です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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私達は、どこから来て、どこを目指し、どこへ行くのか?

私達の大元の先祖は、現代科学では、35億年以上前に生まれたアメーバですと説明します。アメーバはどこから生まれたのでしょう?それは、太古の海から生まれ、海は、46億年前の地球誕生から、また、地球は、宇宙に漂うガスやチリから生まれ、それは、約138億年前のビッグバンから生まれたと言います。

では、ビッグバンは、どこから生まれたのでしょう?それは創造主の神仏でしょうか?それは如来としまして

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 12光仏の中の無礙光仏

題の疑問をテーマに弁栄著の『如来光明礼拝儀』の「十二光仏」を引用し分かり易い切り口で十二光仏を説明します。それで十二光仏と私の関係がつながって来ると思います。今回十二光仏の次ぎを使用して説明します。

 

無量(むりょう)光仏

(えん)(のう)光仏

清浄光仏

歓喜光仏

智慧光仏

不断光仏

 

①如来の別名、無量(むりょう)のお力により、

無量の光明を持つ仏のお力で、この宇宙が約138億年前ビッグバンにより生まれます。そして宇宙に漂う水素ガスやチリが集まってそれらが、

 

(えん)(のう)光仏のお力により

中心が高温の太陽系を作ります。その中心とは、水素の核融合で出来た超高温の炎に燃える太陽です。山崎弁栄が述べます。「私達の生存要因の九割以上がその太陽の光線、熱線と化学線のお陰で生存出来ています」と。

 

1)光線・・・闇でなくその明るい光線で自分の周りに何があるかが分り必用物を選んで行動し生活出来ます。

 

2)熱線で、氷やマイナス273度でなく適度の生命維持出来る温度を宇宙から届けてくれますので凍らず死なないで暮らせます。しかし、時には山火事を起します。

 

3)化学線による化学変化でしぶい果実を甘くし、野菜や木の葉に葉緑素やビタミンなどの栄養を作り出し、それを動物が頂き、その植物の命から自分の命を保ち続けさせて頂いています。

 

 

46億年前、太陽系の中で私達の地球誕生の時は、炎王光仏のお力により岩石大集合体が高熱で溶けた地球はマントル状態になっていました。

 

次ぎの時代では、次第に地表がゆっくり冷やされ、雨雲が出来始めます。

 

③如来の清浄光仏のお力により

雨が地表に降りそそぎ、海が出来ます。

 

その海に無量光仏のお力で、また、その仏が生んだ分身として、アメーバ、バクテリアなどの微生物が生まれ、微生物は、進化して海藻、珊瑚、動物の魚類等が生まれます。そして、一部の動植物が地上に上がり別の植物や動物に進化し暮らし始めます。次ぎに動物が進化して人類が生まれます。その時清浄光の雨風雪により清められた地上には、多くの清らかさと美の景色が生まれています。

 

人は、それらの清く美しい環境を感じる為の「眼耳鼻舌意」の六つの感覚器官自体が清浄光仏のお力で清められ感受性が高まり、私達を浄化してくれます。そのことを弁栄著の『如来光明礼拝儀』p.11は、次ぎのように記載しています。

「如来清浄光明に 我等が(じん)()(そそ)がれて六根常に清らけく」

 

更に「(こころ)」が深まると私達の心の眼が進化し、遠くが分る不思議な「天眼」真理を見抜く眼の「慧眼」世界浄土を見る眼の「法眼」、それら二つ総合し究極の覚りの眼である「仏眼」が容易ではないですが獲得出来ます。

 

その結果、お顔は輝きその相や人格が向上します。そこを同p.11は「姿()(しき)は自ずと(うる)おるれ」と記載されています。体中の細胞までそうなります。

 

しかし、私達動物は、悲しいことに弱肉強食世界で他の生物の命を奪う罪を犯しながら生きています。罪の自覚が出来るのは善悪を理解する人間だからです。そのため念仏で供養し、精神進化し、次回説明の⑨超日月光仏までの段階を目指す必用があります。

 

また、前の②炎王光仏は、その罪を焼き、除く力があります。私達は、切りの無い過去より無量の命を奪い、無意識に迷惑をかける罪を積んできていますので炎王光仏と心の垢をそそぎ取る清浄光仏のお力が必用です。現在将来についてもそうです。

 

尚、また、よく考えると植物も微生物も強いもの勝ちで繁栄していますので弱肉強食になっています。

 

 

④如来の歓喜光仏のお力が無量光仏に加わり

様々な美しい花々が地上に咲くなど美しい景色が私達に喜びを与えます。それらの花々が歓喜の内に様々な悟りを示します。歓喜光仏により人類は、苦しみが安らぎ、迷いから覚めさせて頂き、六つの上る精神段階である人間、天人、声聞(しょうもん)(えん)(がく)、菩薩、仏と様々な覚りの段階の喜びを得るようになります。

 

美しいのは、花だけでなく私達の心にも「美しい心」を同胞や他者に持ったり、受けたりします。反対に「いや」な心は炎王光仏・清浄光仏のお力で除き、歓喜光仏のお力で安らぎます。

 

 

⑤如来の智慧光仏の力により、

自然現象を私達人間は、観察、選別、利用、摂取、管理、共生しています。その時に必用なものが智慧光仏のお力です。

 

よくお念仏すると智慧光仏のお力により心の闇の煩悩がよく分り、その反対の真理が分ります。更に智慧の覚りに向かいます。人の学習智から天才の発明智、声聞・縁覚の智、仏菩薩の智まで及びます。よくお念仏するとミエリン化、つまり、脳細胞どうしの回路がつながり学習力と智慧が高まります。様々な能力が向上します。

 

 

⑥如来の不断光仏の力により、

この世界は、筋目正しく、地球は回り、星はめぐり、時はめぐります。宇宙は不断光仏の意志が働いています。人は、不断光仏の不断のお力により意志を霊化(れいか)、つまりほとけ化し正しく善に導きます。また、自らをほとけ化し=作仏(さぶつ)、他人もほとけ化=度生(どしょう)します。

 

ほとけ化とは、慈悲化、真善美化です。この二つの願いを持つことが重要です。田中木又先生が「作仏(さぶつ)度生(どしょう)で難しいことを考えず、まず重要なことは、周りに親切を尽くし合うことです」という様なことを言われました。それから『如来光明礼拝儀』を拝読し念仏精進し合うことです。それを光明生活と言い、それが如来の御心を現わすことになります。そこを弁栄が『如来光明礼拝儀』p.12

 

「常恒不断の光明に 我らが意志(こころ)(れい)()せば

作仏度生(さぶつどしょう)もて ()(むね)とはなる

歌います。


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仏様の国にいかれた

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10月は長野県で風邪をひいているのに冷たい風の吹きさらす駅の野外長椅子で一夜を明かし体を痛め、11月は新潟県をあちこち回り、依頼された仕事をされ、ご病気とお疲れが溜りました・・・絵本版記載。

 

また望まれた絵やを画いておあげになりました。販売ではありません。後で御礼を頂くことはありましたが。

 

大正91116日より、柏崎浄土宗極楽寺のお念仏の会の指導をされました。その頃からお風邪の熱は非常に高くお苦しそうでしたが、それでも毎日壇上に立ってお話をなさいました。

 

20日にが終りましたが、ご病気は段々悪くなり、次のところへお出でになることが出来ず、柏崎極楽寺でご養生のため床に伏し二週間程おられました。

 

その間に全国から沢山の方々がお見舞いに集まって来てお寺はお見舞いの人で一杯でした。

 

元来浄土宗僧侶の弁栄様のお見舞いのお弟子には、禅宗信者、キリスト教神父までいました。かつて依頼されれば、他宗にも、隣国や中国大陸にも足を運んでおられました。

 

弁栄様のご病気は段々と重くなられました。そして、皆の幸せを願いつつ、大正9124

 

「大ミオヤが、大ミオヤが、南無・・・阿弥・・・陀仏・・・南無・・・阿弥・・・陀仏」の言葉を最後に息を引き取り、阿弥陀様の御国へお帰りになりました

 

随行弟子鈴木憲栄『ミオヤとのめぐり会い』より

 

61歳でした。早いように思われますが、1920年当時の平均寿命はほぼ50歳ですので当時としては長生きになります。

 

 

人格円満のお釈迦様も弁栄も、共にこの世に人間としてお生まれになり、人間とすべてのものの尊さとあらゆるものの大元に最尊絶対唯一の大親の大ミオヤが存在することをお説きになりました。

 

「大ミオヤ」は、従来阿弥陀様、無量寿如来様、如来様などとお呼びした同じ言葉ですが、隔たりを感じない賢母・慈母のように心優しさを込めて表現されたようです

 

世界の様々な神も意図する所は変わりないと言い、科学も矛盾なく含み、世界の哲学・宗教と対立しない真理の教えで、善と美が伴います。

 

弁栄、その光明主義と言う高い山の登り道を開拓されその教や、多くの本、芸術作品を残し、それでもって、今もなお私達を導いて下さっているのです。

 

2022年7月の今回で2020年6月から毎月1回連載した『真・善・美生活の賢者 山崎弁栄とその影響者達』没後百年記念の漫画伝の本文紹介と更なる解説を終了します。如何でしたでしょうか?

2020年9月発行の同印刷本には、後書きが8頁ついていて補足の人物と用語の説明が記載していますのでご参考願います。ネット上では、それは載せていません。

私の近所の音楽グループの奥様に、この本を差し上げたら「補足説明から読み始めて本文を読み、非常に感動した、子供にも読ませたい」との評価を頂きました。

アマゾンで購入して読んだイギリス在住の日本人も「感慨無量。英国友人にもすすめます」という良い感想をくださいました。こんなに純粋で有能な日本人を始めて知ったと受け止めたと思われます。

 

 

 

 

 


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大反対者が、大賛成者に変わり出版迄した高等講習会

百年以上前の大正5(1916)年、弁栄 57歳の時、浄土宗総本山、知恩院で年に一回、全国を代表する僧侶200名程集まる高等講習会の講師に選ばれました。

 

しかし、役員の井上師が大反対した所、他の役員からまずはその講義がおかしいかどうか聞こう。聞いておかしければ、そう言えば」と説得されました。

ならば、話を聞いて少しでもおかしければ、井上師はきつく抗議し、講義を妨害しようと決めて、一番後ろの席で聞くことにしました。

 

所が、弁栄の話を聞くと、科学等色々な分野の知識にも裏付けされた大変良い話であったで最前列へ移動して熱心に聴きました。

弁栄にその講義「宗祖の皮髄」出版を願い出て、出版を実行するほど弁栄の尊敬者になりました。尚、科学的知識とは、

太陽光は、

1.物を見分けさせる光線。

2.暖かさを与える熱線と

3.化学的変化を与える化学線でその光線で光合成や渋柿を甘柿に変える働きがあります。

これら三種の「太陽光」は如来様の

1.「光線」が智慧の能力に相当し、

2.「熱線」は慈悲のパワー、

3.「化学線」は、威神(いじん)の力に相当します。

これは、山崎弁栄の「光明主義」の最初に学ぶ基本の考えであります。

 

この三つの中で全てを超えて最も尊い重要な力は、理解しにくいかも知れませんが、如来の「威神」の力であります。

意味は、神々しい威力、威厳、威光、威徳。偉大で不思議な威力。それらがあって全く尊いことです。

尚、分りにくいことですが、弁栄晩年作の三昧仏の雲上阿弥陀像の眼などにこの「威神」の表現を見ることが可能です。

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大反対した人が大賛成に変わってしまうほど深く影響を与えました。当時の管長も聞き、大変喜んで人にその本を薦めました。


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山本空外とレーガン大統領、オッペンハイマー、湯川との関係

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山本空外の新漫画と説明

空外(くうがい)は光明主義山崎弁栄の弟子藤本浄本の弟子で、2020年8月26日のこの「ケン蓮」のブログで原爆被害に遭うなどとその特別な生き方を記載しましたが、

原爆の生みの親オッペンハイマー(1904-1967)は、第二次世界大戦後1960年日米国際交流講演の為、日本にやって来ました。

 

そして、個人的に彼の好きな国際的画家、井上三網のアトリエを訪問した所、井上は山本空外(くうがい)を尊敬私淑していたことが分りました。

同様に空外を尊敬する湯川から空外のことを聞いて空外を尊敬したオッペンハイマーは、京都を訪れた時、湯川の手引きで空外の寺を訪問し、

 

空外の弟子になりたいと申し込んだ。空外の答えは「考えておこう」ということで、色々難しい事もあり、その場で許可されなかった。湯川博士は、これ以後に弟子の申し込みをされて弟子になれました。

 

許可しなかった理由は、良く考慮されたことで原爆の憎しみというようなありふれた理由では全く無いです。しかしながら、許可されていたら、国際交流の成果が大幅に増したことでしょう。

 

1983年11月レーガン米国大統領が中曽根首相との会談のため来日しました。

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レーガンの日本での土産リストの「クウガイの書」との記載を見た首相は、日本の名筆筆頭の空海を連想したが誰か分らなかった。

 

調べたら日本で抜きん出て書道や茶道の道に深く到達した浄土宗僧侶で財団法人光明会代表の「山本空外」であることが分りました。

 

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      類似の茶碗

そこで首相は、後に光明会の代表になる河波昌教授の持つ抹茶茶碗をレーガン大統領に差し上げました。それには、空外の書が書かれていました。

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中曽根首相個人所有の「日の出山荘」で自らお茶を点て忙しいレーガン夫妻に日本の文化をのんびりゆったりと味わって頂いたのです。空外書の抹茶茶碗は、その思い出に良くマッチしたものでした。

後にその茶碗はホワイトハウスに展示されました。空外は、書道だけで無く、茶道にも抜きん出てその道に深く到達されておりました。

 

茶道具まで自ら制作した芸術家でもありました。例えば、「十二光」の12本の茶杓は素晴らしいものです。かつて、その制作要点のお話を私、ケン蓮は空外主催の念仏会で聞いたことがあります。

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その要点とコツは、「その竹(相手、相手のいのち)を生かしてそれでしか出せない様に削ること」と語っていました。その判断と技は、深い念仏三昧実践から来るものが必用と私は受け取りました。

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  「心 一画に三折が」 

また、良い書を書く要点の一つについて、「書は三折(さんせつ)なり(=一本の線は、三つの部分に分かれる。腕の三つの間接を使用して書くこと)」と聞きました。人の手足の骨は、3つの関節があるが、2つ使用ではだめ」と。

 

れで初めて自由に空間を移動出来る仕組みと法則となっています。ロボットもそうです。3という数字を私が数学的に考えて見れば、3角函数の公式があります。

人間の2つの眼もその法則で物や相手との距離をつかむ、生きるために必須な法則です。宇宙の星の距離もその公式を使って遠さを計測しています。

 

空外の生涯に欠くべからざる称名「ナム・アミ・ダブ」も3拍で称えられ、大宇宙の法則と関係のある3の数字が使用されています。

 

空外晩年所有の京都にあった遺作と所有品は、島根県の空外記念館に移され、毎年10月に公開されています。

また、多くの山本空外著の著作物が、無二会(通照院)が、作品集も含め出版物を扱っています。

東京帝国大学(現東大)時代は、寺に下宿し、早朝から仏道、勉学の両面を鍛錬された。広島大学の倫理学の助教授になる前の26歳で2年半の欧州留学をされました。

 

その時には、英語、ドイツ語、仏語、古代のギリシャ語、中国語、インド語等が堪能でした。欧州の主要な哲学者、倫理学者、キリスト教牧師等と会い交流し研鑽されました。

帰国後大変眼を酷使して視力を失う病気になりましたが、しばらく念仏に集中して視力が回復。一度知ったことは、決して忘れない能力がありました。

哲学・倫理・書道に関する著作と作品は、将来重要文化財になるかも知れないとの声もある程でした。広島で被爆したのにもかかわらず、晩年のガンも克服し、2001年100歳の天寿を全うされました。

先月湯川博士も含めてこの漫画については、初めての公開で後年出版予定です。


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